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骨の折れる音がした。
僅かに遅れて、肉の千切れる音がした。
折れた骨が肘から飛び出し、血飛沫が上がる。
雨のように降る血飛沫を顔に浴びながら、その女は笑った。獲物に喰らい付く寸前の獣に似た、見る者を畏怖させる凶悪狂暴な笑みである。
「重厚な鎧を着ていても、中身が脆くては話にならんな」
口元を濡らす血を舐めて、獣のようなその女は呟いた。女の手に握られているのは、頑丈な木材を“剣”の形に削りだしたような奇妙な武器だ。刃の代わりに、魔物か何かの牙が幾つも埋め込まれている。
身の丈は二メートルを僅かに超えるほどだろうか。
女性としては……否、大陸全土を探しても、男の中にあってさえ稀な高身長。
しかし、どちらかと言えば女の体格は細身と言える。
決して痩せているわけではない。むしろ、その身の上から下まで、よく鍛えられた筋肉に覆われているのが分かる。
魅せるためではなく、実戦で使うための筋肉だ。
きっと、トレーニングではなく日々の暮らしの中で鍛え抜かれ、身に着けた特別製の筋肉だろう。例えるのなら、野生の猫科動物が持つそれに近いだろうか。
事実、その女はよく跳ねた。
一度、地面を蹴飛ばせば、その身は数メートルも上空へと舞い上がる。その癖に、地面を蹴る音は酷く微かで、一瞬でも気を抜けば女の姿などまるで煙か幻のように、視界から消えてしまって、見失ってしまうだろう。
事実、彼女が狙っているのはそれである。
人並み外れた膂力を有していながらも、彼女は決して正々堂々の斬り合いにこだわってはいない。むしろ、彼女の立ち回りは“いかに相手の視界から逃れるか”に重点が置かれたもののように思われた。
(……狩りだな、これは)
落下の勢いを乗せて叩きつけられる木刀……テルビューチェと呼ばれる武器である……を、男は右手に構えた剣で受け流す。
その男は灰色の髪をした若い騎士。身に纏った白銀の鎧は見るからに上等そうなものである。おそらくは、上位の騎士か、或いは貴族の出身か。
整った顔つきを見るに、きっと後者に違いない。この大陸の貴族と言うのは、どいつもこいつも綺麗な顔をしているのが特徴だ。
受け流された牙剣が荒れた地面に突き刺さる。
一瞬、女の動きが止まった。
その隙を逃さず、男は右手の剣を一閃。狙ったのは女の首だ。並の騎士や剣士であれば、男の放った高速のカウンターを回避することは出来なかったはずである。
それほどまでに、速度も重さも、そしてタイミングも完璧といえる一撃であった。
だが、女はそれを回避した。
その上体を大きく後ろへ逸らすことで、騎士の斬撃を回避して見せた。
「なに……っ⁉」
「そりゃぁこっちの台詞だ。危うく死ぬところだぞ」
上体を仰け反らせながら、女は右の足を振り上げる。
顎を蹴り上げられた騎士は、ほんの僅かに姿勢を崩した。脳を揺らされたことによる意識の混濁を、騎士は唇を噛み締めることで振り払う。
唇から溢れる血を舐めながら、騎士は再び身体の真正面で剣を構えた。
いわゆる、正眼の構えというやつだ。
本来は左右の手で握った剣をそのようにして構えるのが正しいのだが、左腕が折れている現状、使えるのは右の腕だけ。それでも剣がぶれない辺り、騎士の積んだ鍛錬の歴と技能の深さが見て取れる。
「お互い様だろう」
一進一退と言えば聞こえはいいか。
互いに“一撃で命を奪う”ことを目的とした殺意の応酬。一瞬でも気を抜けば、次の拍子には死んでいるかもしれないということは、騎士も女も判っていた。
実力はほぼ互角。速度と猛攻で押し切ることを得手とする女に対し、騎士は不動を貫く構えだ。相手の猛攻を冷静に凌ぎ、防ぎ、受け流し、そして生まれた一瞬の隙に致命の一撃を叩き込むのが狙いのようだ。
それが理解っているからこそ、女は迂闊に攻められない。
対して騎士も、自身から攻めるのは不得手であるゆえ、剣を構えたまま身動きが取れないでいる。
二人の間に静寂が落ちた。
睨み合い。或いは、読み合いか。次に相手がどう動くのか、自分がどう動けば死なずに済むのか、相手を仕留められるのか。
きっと二人の頭の中では、何十通りものイメージが駆け巡っているのだろう。
「……参ったな。お前みたいなやつは初めてだ」
獣のような笑みを浮かべて、女は低く腰を落とした。
右手に持った牙剣を肩に担ぐような独特の姿勢。左の手を地面に突いた、極端なほどの前傾姿勢。
騎士と女の暮らす大陸には存在しない言葉であるが、仮にどこか別の世界の者たちが彼女の取った構えに名前を付けるとすれば“クラウチング・スタート”と、そう言ったはずだ。
脚力と重心を、瞬間の爆発力に変換するための構え。二足歩行が当たり前の人間が、獣ヲ真似た特異なスタートダッシュ、その予備動作である。
「嬉しいね。壊滅都市にはもう一年ぐらい住んでるが、やっと私より強い奴に巡り合えた」
言葉の通り、女は嬉しそうに笑った。
と、次の瞬間だ。
騎士の視界から、女の姿が掻き消える。
否、女が疾走を開始したのだ。
顎が地面に触れそうなほどに低い姿勢での疾走。空気の抵抗を極限にまで少なくし、ごく短い距離を駆け抜けることに全身全霊を賭けた渾身のスタートダッシュ。
その身を一つの砲弾に変えて。
身体ごとぶつかるような渾身の一撃を放つ。
後のことなど何も考えてはいない。もし、この一撃を凌がれれば、自分は死ぬに違いないという覚悟を乗せた捨て身の強襲。
刹那に過ぎない時間の中で、女は過去を想起する。
この世に生を受けて以来、およそ二十年の歳月を経た。その中で、ただの一度たりとも、女の放つ最高最速の一撃に対応して見せたものはいなかった。
既に亡き一族の誰もが、彼女よりも遅かった。
一族を滅ぼした尋常ならざる魔物たちの中にさえ、彼女より速いものはいなかった。
ゆえに必殺。
必ず殺すと決めた時にしか使うことの無い、そして、外したのなら自分が死んでも仕方がないと覚悟した時にしか放つことを禁じた技だ。
数メートルの距離が0になる。
身体ごと投げ出すように、担いだ牙剣を振り抜いた。
一瞬が、数秒ほどに引き伸ばされたような奇妙な時間間隔。停滞しているかのように、ゆっくりとした時間の流れ。
制止した景色の中で、騎士だけが動いた。
滑るように一歩だけ前へと踏み出して。
流れるように、剣を薙ぐ。
果たして……。
「光栄だ」
灰髪の騎士は、女の放った“必殺”を見事に返して魅せたのであった。
僅かに遅れて、肉の千切れる音がした。
折れた骨が肘から飛び出し、血飛沫が上がる。
雨のように降る血飛沫を顔に浴びながら、その女は笑った。獲物に喰らい付く寸前の獣に似た、見る者を畏怖させる凶悪狂暴な笑みである。
「重厚な鎧を着ていても、中身が脆くては話にならんな」
口元を濡らす血を舐めて、獣のようなその女は呟いた。女の手に握られているのは、頑丈な木材を“剣”の形に削りだしたような奇妙な武器だ。刃の代わりに、魔物か何かの牙が幾つも埋め込まれている。
身の丈は二メートルを僅かに超えるほどだろうか。
女性としては……否、大陸全土を探しても、男の中にあってさえ稀な高身長。
しかし、どちらかと言えば女の体格は細身と言える。
決して痩せているわけではない。むしろ、その身の上から下まで、よく鍛えられた筋肉に覆われているのが分かる。
魅せるためではなく、実戦で使うための筋肉だ。
きっと、トレーニングではなく日々の暮らしの中で鍛え抜かれ、身に着けた特別製の筋肉だろう。例えるのなら、野生の猫科動物が持つそれに近いだろうか。
事実、その女はよく跳ねた。
一度、地面を蹴飛ばせば、その身は数メートルも上空へと舞い上がる。その癖に、地面を蹴る音は酷く微かで、一瞬でも気を抜けば女の姿などまるで煙か幻のように、視界から消えてしまって、見失ってしまうだろう。
事実、彼女が狙っているのはそれである。
人並み外れた膂力を有していながらも、彼女は決して正々堂々の斬り合いにこだわってはいない。むしろ、彼女の立ち回りは“いかに相手の視界から逃れるか”に重点が置かれたもののように思われた。
(……狩りだな、これは)
落下の勢いを乗せて叩きつけられる木刀……テルビューチェと呼ばれる武器である……を、男は右手に構えた剣で受け流す。
その男は灰色の髪をした若い騎士。身に纏った白銀の鎧は見るからに上等そうなものである。おそらくは、上位の騎士か、或いは貴族の出身か。
整った顔つきを見るに、きっと後者に違いない。この大陸の貴族と言うのは、どいつもこいつも綺麗な顔をしているのが特徴だ。
受け流された牙剣が荒れた地面に突き刺さる。
一瞬、女の動きが止まった。
その隙を逃さず、男は右手の剣を一閃。狙ったのは女の首だ。並の騎士や剣士であれば、男の放った高速のカウンターを回避することは出来なかったはずである。
それほどまでに、速度も重さも、そしてタイミングも完璧といえる一撃であった。
だが、女はそれを回避した。
その上体を大きく後ろへ逸らすことで、騎士の斬撃を回避して見せた。
「なに……っ⁉」
「そりゃぁこっちの台詞だ。危うく死ぬところだぞ」
上体を仰け反らせながら、女は右の足を振り上げる。
顎を蹴り上げられた騎士は、ほんの僅かに姿勢を崩した。脳を揺らされたことによる意識の混濁を、騎士は唇を噛み締めることで振り払う。
唇から溢れる血を舐めながら、騎士は再び身体の真正面で剣を構えた。
いわゆる、正眼の構えというやつだ。
本来は左右の手で握った剣をそのようにして構えるのが正しいのだが、左腕が折れている現状、使えるのは右の腕だけ。それでも剣がぶれない辺り、騎士の積んだ鍛錬の歴と技能の深さが見て取れる。
「お互い様だろう」
一進一退と言えば聞こえはいいか。
互いに“一撃で命を奪う”ことを目的とした殺意の応酬。一瞬でも気を抜けば、次の拍子には死んでいるかもしれないということは、騎士も女も判っていた。
実力はほぼ互角。速度と猛攻で押し切ることを得手とする女に対し、騎士は不動を貫く構えだ。相手の猛攻を冷静に凌ぎ、防ぎ、受け流し、そして生まれた一瞬の隙に致命の一撃を叩き込むのが狙いのようだ。
それが理解っているからこそ、女は迂闊に攻められない。
対して騎士も、自身から攻めるのは不得手であるゆえ、剣を構えたまま身動きが取れないでいる。
二人の間に静寂が落ちた。
睨み合い。或いは、読み合いか。次に相手がどう動くのか、自分がどう動けば死なずに済むのか、相手を仕留められるのか。
きっと二人の頭の中では、何十通りものイメージが駆け巡っているのだろう。
「……参ったな。お前みたいなやつは初めてだ」
獣のような笑みを浮かべて、女は低く腰を落とした。
右手に持った牙剣を肩に担ぐような独特の姿勢。左の手を地面に突いた、極端なほどの前傾姿勢。
騎士と女の暮らす大陸には存在しない言葉であるが、仮にどこか別の世界の者たちが彼女の取った構えに名前を付けるとすれば“クラウチング・スタート”と、そう言ったはずだ。
脚力と重心を、瞬間の爆発力に変換するための構え。二足歩行が当たり前の人間が、獣ヲ真似た特異なスタートダッシュ、その予備動作である。
「嬉しいね。壊滅都市にはもう一年ぐらい住んでるが、やっと私より強い奴に巡り合えた」
言葉の通り、女は嬉しそうに笑った。
と、次の瞬間だ。
騎士の視界から、女の姿が掻き消える。
否、女が疾走を開始したのだ。
顎が地面に触れそうなほどに低い姿勢での疾走。空気の抵抗を極限にまで少なくし、ごく短い距離を駆け抜けることに全身全霊を賭けた渾身のスタートダッシュ。
その身を一つの砲弾に変えて。
身体ごとぶつかるような渾身の一撃を放つ。
後のことなど何も考えてはいない。もし、この一撃を凌がれれば、自分は死ぬに違いないという覚悟を乗せた捨て身の強襲。
刹那に過ぎない時間の中で、女は過去を想起する。
この世に生を受けて以来、およそ二十年の歳月を経た。その中で、ただの一度たりとも、女の放つ最高最速の一撃に対応して見せたものはいなかった。
既に亡き一族の誰もが、彼女よりも遅かった。
一族を滅ぼした尋常ならざる魔物たちの中にさえ、彼女より速いものはいなかった。
ゆえに必殺。
必ず殺すと決めた時にしか使うことの無い、そして、外したのなら自分が死んでも仕方がないと覚悟した時にしか放つことを禁じた技だ。
数メートルの距離が0になる。
身体ごと投げ出すように、担いだ牙剣を振り抜いた。
一瞬が、数秒ほどに引き伸ばされたような奇妙な時間間隔。停滞しているかのように、ゆっくりとした時間の流れ。
制止した景色の中で、騎士だけが動いた。
滑るように一歩だけ前へと踏み出して。
流れるように、剣を薙ぐ。
果たして……。
「光栄だ」
灰髪の騎士は、女の放った“必殺”を見事に返して魅せたのであった。
| 作品ID | n000009 |
|---|---|
| 作品名 | 壊滅都市の騎士と蛮族 |
| 読切り/連載 | 連載 |
| タイトル | 0・遭難騎士と蛮族 |
| クリエイター | 衛元 藤吾 クリエイターページへ |
| カテゴリ | 冒険 |
| 対象年齢 | 全年齢対象 |
| 紹介文 | |
| ハッシュタグ |